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1379 日の名残り

 
この詩は、新しい小説の中に使う詩の一編です。
たった今、出来たばかりの、推敲もしていないほやほやです。
 
 
日の名残り
 
それでもなお
あざやかな夕焼けの色をした
日の名残は
おおきな山がたくさん連なる
山里に
豪華絢爛たる荘厳な茜色の衣装をまとい
ふかい谷のほうから
日陰色の墨でていねいに塗り潰しながら
はるかに高い
山のてっぺんめがけて
いきも切らずに駆け登っていった
 
そんな景色のなかで
賢太は
仔犬のクロをひざにのせて
その柔らかくて
あたたかくて
しなやかな毛並みを
さも愛おしそうに
わが悲しみを
ほつれ髪にしながら
いつまでも撫でつづけていた
 
そんな時間の
たそがれの夕闇のなかにも
冬は
忍びの者のように
気配をけし
足音をしのばせ
つい
そこまでやって来ていた
 
 

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1378  鏡 [詩・エッセイ]

 
 
シリア難民の三歳の 男の子が波打ち際で溺死していました
どうすべきかを知らない
その波は
いつまでもいつまでも
その男の子を波打ちつづけました
 
そんなことをしたのは誰なのでしょう
一つ一つ辿っていけば
すぐに犯人は分るのです
それは
かってこの土地を侵略した国です
それが犯人なのです
その国が
この三歳の男の子を殺した憎むべき犯人なのです
 
 少年を殺した国は栄えていますが
無感動
無関心
不寛容さが蔓延りはじめています
 
歓びも
哀しみも
失くしてしまったのでしょうか
 
何をされようが
何をしようが
お構いなしでよいのでしょうか
 
エゴを曝すだけでよいのでしょうか
人に憐れみを抱かなくてよいのでしょうか
 
そんな姿をしていながら
おのれを醜いとも
恥ずかしいとも思わないで
歩いています
 
もう この世から
鏡も
キラキラとした少年の眼も
失くしてしまったのでしょうか
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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1377  雪が好き [詩・エッセイ]

 
雪が好き
 
夜のしじまに降る雪は
積もる音さえ聞こえます
そして
ほのかに匂うのです
 
炭火の入った火燵の煎餅布団に寝ていても
すきま風が入り込んで
雪が降って来たようでございますと
お抱えの忍者が
ひそかに教えてくれるのです
 
沈黙と音と雪は切っても切れない
深い仲
沈黙があるから音があり
音があるから雪があり
雪があるから沈黙があるのです
 
雪の匂いは
隣で寝ている猫のタマのオナラよりも
藁に包まれた納豆よりも
味噌汁に使う豆腐よりも
雪のしたに埋もれてしまった蕗の薹よりも
匂いがするのです
 
小鳥たちが囀り
行儀の悪い光の子たちが覗き見をはじめると
ぼくは火燵を蹴飛ばし
お抱えの忍者といっょに外に飛び出します
ひっくり返ったぼくの顔に降る雪は
真綿のような柔らかな雪でした
 
もう歳が
なんぼになってしまったのかわからなくなってしまった
隣のお爺ちゃんが言いました
しんしんしんとしんしんしんと
まるで音がしないように降る雪は
怖いのだと
こんこんこんとこんこんこんと
だれにも気づかれないように降る雪は
恐れなければならないと
 
しんしんしんとしんしんしんと
雪が降る
こんこんこんとこんこんこんと
雪が降る
お婆ちゃんのような優しそうな顔をして
雪が降る
この世のものと思えないような美しい顔をして
雪が降る
僕の住んでいる山里の
畑の道も 田圃の道も 谷川に降りる道も
雪が降る
黒髪が抜けてしまい貧乏くさくなり
貧相になってしまった坊主頭の雑木林に
雪が降る
坂しかない山の
たった一つしかない平べったい田圃にも
雪が降る
刈り取られずに残った玉蜀黍の
枯れた葉っぱにも
雪が降る
鬼灯や験の証拠や蕺などがぶら下がった
襤褸家の屋根の上にも
雪が降る
青い竹藪や赤い松林や
鳥たちの取り分である赤く熟した柿の実にも
雪が降る
虫たちを匿う冬枯れの草むらにも
魚たちを庇う岩や谷川にも
雪が降る
塒に帰るカラスたちや
ムササビたちの上にも
雪が降る
しんしんしんとしんしんしんと
雪が降る
こんこんこんとこんこんこんと
雪が降る
 
しんしんしんとしんしんしんと降る
雪が好き
こんこんこんとこんこんこんと降る
雪が好き
たちどころに
形ある物たちの上に降り積もり
魔法使いのお婆さんに化かされてしまったように
すべての物を真っ白に塗り替えてしまう
雪が好き
お地蔵さんや
郵便配達さんのように優しい
雪が好き
夢や冒険や想像力を掻きたててくれる
雪が好き
考えれば考えるほど
不思議で不思議でならない
雪が好き
 
しんしんしんとしんしんしんと降る
雪が好き
こんこんこんとこんこんこんと降る
雪が好き
 
願わくば雪の下にて冬死なん
心も凍る地吹雪のころ

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1376 明夫爺さんのノスタルジア物語 [詩・エッセイ]

 
明夫爺さんのノスタルジア物語プロローグ(後編)
 
誰かが言った。
人生は、
襤褸屋の破れ戸の隙間から
疾走する白馬を見ているようなものであると。
その姿は、
瞬きをしている一瞬の間に掻き消されてしまう。
それが人生であると。
 
大人になれないもどかしさに地団太踏んだ、
少年時代。
自分の心をコントロール出来なかった、
青年時代。
忙しさにかまけた、
壮年時代。
そして辿り着いたのが
史上空前の過密過ぎる老人時代であった。
 
私たちが生きて来たこれまでの時代は、
不平等で、 不条理で、理不尽極まりない世界であったが、
たった一つだけ平等なものがあった。
それは、
どんなに財産を持っていようが無一文だろうが、
どんな名誉を持っていようが恥辱まみれだろうが、
独り裸で生れ、
独り裸で
さようならをする。
それだけは間違いなく平等なものであった。
人生は、
阿保らしいほど滑稽な喜劇であり、
人生は、
叫びたくなるほど深刻な悲劇である。
 
歳をとって来ると、
醸造酒を造る樽の中に湧き出す白い泡のように、
プツプツ、プツプツと音を発てながら、
自分の頭の中の脳細胞が一つ一つ壊れ、
滅茶苦茶になっていくのが、
よく解る。
 
こんな夢を見た
自画像があり、
その自画像は広い野原で、
取り留めのないことを喋り、
取り留めもないことを書いていたが、
何の前触れもなく、
いきなり木っ端みじんに砕け散ってしまい、
土となって、
ばらばらばらと音をたてながら大地に降り注いでいた。
 
老人になると、
箍が外れてしまうのか、
心身共にまとまりがなくなり、
しまりのない状態になり、
何もかもが支離滅裂になってしまうものである。
それを許してくれるのも
若者の務めなら、
寛容な気持ちで、
やさしく見守ってくれるのも、
若者の度量というものであろう。
 
今、世界は、
不寛容さに満ち溢れている。
不寛容さは、
すなわち争いである。
それは戦争に繋がり、
かって我々の先祖が歩いて来た戦いの道でもある。
寛容さこそが、
平和に繋がる唯一の道である。
 
誰にでも訪れて来る、
躰の不調や、
老い先の不安。
それを救ってくれる言葉がある。
 
それは、
江戸時代後期の曹洞宗の僧侶であり、
歌人であり、詩人であり、書家でもあった、
清貧の人、
良寛さんの言葉である。
 
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」
 
すでに起こってしまった災難は、
どうすることも出来ない。
あわてふためいたり過ったことをしないで、
あるがままを受け入れ、
その時点で最善の方を尽くす。
それが肝要であると説いている。
ちなみに良寛さんの号は、
大遇 であった。
 
良寛さんの、
この言葉は、
私の救いの言葉である。
この言葉に出会った時、
眼から鱗が落ちたような気持ちになった。
 
 

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1375 明夫爺さんのノスタルジア物語 プロローグ [詩・エッセイ]

悲劇が起こってしまいました。
書いていた小説の原稿用紙120枚分が、誤った操作をしてしまったため消えてしまいました。
呆然としてしまって、四、五日何もしなかったけれど、
気を取り直し、残っていたプロローグだけでも前後二回に分けて公開したいと 思います。
 
明夫爺さんのノスタルジア物語…プロローグ
 
石川啄木の一握りの砂に、
「世に最も貴 きもの三あり、
一に曰く、小児の心。二に曰く、小児の心。三に曰く、小児の心。
ああ、生れたるままにて死ぬる人こそ、
この世にて一番エラキなるべきなれ」
というのがあるが、
小児の心も幾多の歳月の荒波にもまれ、いつしかボロボロになってしまった。
 
老いるということは悲しいことだ。
「花は散りてもまたもや咲くが萎るる身ぞ辛き」
という言葉もある。
萎んでしまった我が身は、
もう決して、あの若さには戻ることはないのだから。
 
花の盛りには気が付くことはなかったのに、
すべての物体に作用するといわれている万有引力は、
我が身に及び、
この地球の真っただ中にいて、
その体のすべての部位に錘が吊り下げられているのを、
ひしひしと、
その重さを思い知らされる日々のこの頃である。
 
老いることに、
色んな御託を並べ綺麗ごとにしてしまう人もいるが、
私は、どう考えてみても、
老いることは悲しいことだと思う。
何処で、
愛している者たちと
別離れなければならなくなるかもしれないし、
何処で、
すべてが終わりになるかもしれないのだ。
歩いてきた一本の心細い道に、
死神がうろつくようになるのも不気味であるし、
不安でもある。
 
あっちが痛い、
こっちが痛い、
てんこ盛りの病に、
マニュアル通りにしか診察しない医者は判で押したように言う。
あれも加齢です。
これも加齢です。
みんな加齢によるものですと宣う。
 
老いてしまうと、
若い頃には考えもしなかったような体の異変に襲われてしまう。
新たな痛みの神経細胞が、
全身に張り巡らされでもしたかのように、
それとも痛みの神経細胞が日々増殖でもしているかのように、
躰の節々は痛み、
そして至る所が痛くなる。
 
そして歳の数だけ皮膚たるみ
肌の色の輝きは失せてしまう。
上げているつもりの足は上がらなくなり、
小石に躓き、
ほんの少し足早に歩いただけで、
息は切れてしまう。
簡単に開けられたはずの栓が
開けられなくなり、
眼は翳み、目脂は溜り、泪の河の堰を失くしてしまう。
耳も遠くなり、
鼻からは季節の香りが逃げ出してしまい、
口の中の歯は消え失せ、
歯磨き歯ブラシ失業してしまう。
 
つまるところ老いた躰は、
老朽化してしまって脆くなった物質にほかならないのだ。
やがては、
そのまわりを死神がうろつくようになり、
それを介添え人にして、
我が身さえも支えられない時が訪れ、
知識と記憶が、
仲良く手を繋いで歩いて来て、
自分の名前さえも忘れてしまう日が来るだろう。
 
若者であったものが歳月を経て、
老人となり、
近ごろの若者はなってないなどと言う。
そんな言葉が
古の洋の東西から発掘されているという。
 
紀元前八百年頃の、
哲学者のプラトンも言っている。
「最近の若者は、なんだ。目上の者を尊敬もせず、親に反抗。
法律は無視。妄想にふけって街で暴れる。
道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる」
 
約五千年前のエジプトの遺跡からも、
「最近の若者はなっていない。
わしの若い頃は…」
などと書いた象形文字も見つかっている。
 
日本でも、
千二百年以上も前に建てられた法隆寺の塔にも、
「最近の若者はしょうがない…」
という意味の落書きがあるという。
 
いつの時代であっても、
洋の東西を問わず、
人の心の中の葛藤は変らないものである。
若者と老人しかり、
老人と若者もしかり、
世代の軋轢は繰り返されるものであるらしい。
老人が若者であった時、
絶対に理解が出来なかったのが 老人であり、
若者が老人になると、
自分が若者であったことさえ忘れてしまっている。
それは、
永遠に受け継がれ繰り返される宿命なのかもしれない。
そんなことは、
延々とづづいて来たのだから、
これからも未来永劫にわたり続くことになるであろう。
 
 
明夫爺さんのノスタルジア物語
 プロローグ前篇終り・・・次回に続く
 
 

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